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「総量規制」によって小規模事業者は本当に困るのか

一方、「やはり法改正や総量規制によって弊害が出ている」との主張も根強い。たとえば、『サイゾー』二〇一〇年七月号に掲載された、白民党衆議院議員の平将明氏と民主党参議院議員の藤末健三氏との対談などに、その考えがよく現れている。そのひとつの意見として、事業資金として貸し出されている融資が、総量規制や金利引き下げによって影響を受けるというのである。その半張は、以下の通りである。消費者金融の借り手は、主婦やサラリーマン、フリーターなどが多いと思われがちだが、実際には中小零細企業の経営者や個人事業者が多い。したがって、総量規制によって融資が制限されれば、事業の継続に支障が生じる可能性が出てくる。

また、金利の引き下げによって融資条件が厳しくなることが予想されるため、やはり小規模事業者にとって不都合となるという。たしかに、たとえ高い金利の融資であっても、事業の継続に有効であるならば、事業者にとってはありかたいものである。少しくらい金利が高くとも、事業そのものが潰れてしまっては元も子もない。その点について、かつて事業を営んでいたような人々は、「高金利のローンであっても、事業がうまく回っていれば問題なかった。高金利であっても、事業として役に立つ」と言う。しかし、そこには注意しなければならない要因が存在する。そもそも、消費者金融のような高金利の融資を事業資金に使うのは、非常にリスクが大きい。高利の融資を事業資金にした場合、高い収益が見込まれるような事業でなければ、金利によって利益が食われてしまい、事業そのものが行き詰まってしまう。

つまり、一時的には「助かった」ように見えても、その高金利によって事業そのものが破綻してしまう可能性は否定できない。これは、かつて多くの被害者を出した「商工ローン問題」によって明らかとなっている。また、このわずか十年ほどで、産業界をとりまく状況は激変した。規制緩和やグローバル化などによって、生産性は著しく低下し、事業によって確保できる利益は大変に少なくなってしまっている。そのため、以前であれば金利分を差し引いても利益を見込むことのできたような事業であっても、現在では高金利によるリスクが以前に比べてかなり高くなっている可能性が否定できない。このように見ると、法規制に反対する人々の、「高金利の融資であっても、事業の存続には効果的」という意見には疑問だ。確かに、一時的には事業を存続できたとしても、それは見せかけの継続である可能性がある。

実際には利子が負債となって事業そのものを侵食し、結局は経営を圧迫することにもなりかねないからである。また、消費者金融からの融資の多くが、事実上は事業資金に回っているので、サラリーマンも主婦も小規模事業者も、すべて一緒にした法規制は、やはり中小事業者にとって不利益となるという主張もある。これに関しては、一部消費者金融などは事業者向けに別枠での融資を進めているケースがいくつもあり、単純に一律でくくられているというわけではない。ある消費者金融のケースでは、総量規制のに限まで借りている自営業者や個人事業者などに対して、すでに設定された限度額の範囲内で別途に事業資金を融資する。提出する必要書類は、確定申告書などの事業所得がわかるものであればよい。こうした融資を活用すれば、収人または売上の三分の一を超えて融資が受けられる。ただし、審査が通って融資が決まったら、先に融資した分については凍結され、返済のみとなることがある。

こういうケースでは、一時的には資金に余裕が出来たように見えるが、実際には債務が倍増してしまうため、事実上の多重債務に陥りやすくなり、危険性が高くなる可能性がある。いずれにしても、法規制に反対する人々は、事業の存続ばかりを主張するが、消費者金融か設定している高金利については、まったく言及しない。以前に比べてかなり低くなったとはいえ、利息制限法で定めた年率一五から二〇パーセントという金利は、事業資金としては決して低くはない。事業の種類によっては資金ショートを防止できるものとして期待できるかもしれないが、収益力が低下している事業者の場合には、危ない橋を渡ることにもなりかねない。一時的な資金ショートを乗り切ったとしても、再び同じような資金繰りの悪化が起きた場合に、同様に高金利の借入を重ねることはリスクが大きいと考えられよう。

行政も救済に動き出すか

さて、「借金をしなければ生活費が足りない」という貧困層が存在することは事実である。こうした固定化した貧困層が救済されなくてはならないことは言うまでもないが、現状ではその速やかな施策は非常に困難だと言わざるをえない。すなわち、貧困層にとっては借金は逃れられないもののひとつだという、厳しい現実があることも事実だ。できることなら、借金などしないほうがよいに決まっている。しかし、生きるために現金を借りなくてはならないとしたら、どうすればよいのか。

これについては、公的な制度が、少しずつではあるが整備されてきているという現状がある。そのひとつが、生活福祉資金貸付制度である。これは、行政が窓口となって生活費の一部を一時的に貸し付けるものである。多くは無利子で、返済についても考慮してもらえる。各自治体の社会福祉協議会が相談窓口となっている。自治体によってその用途や金額などはまちまちであるが、生活支援のための資金としては有効なものが多い。実は、以前からこうした生活再建のための貸付制度は設置されていた。ところが、以前は制度だけが存在するばかりで、実際の貸付はほとんど行われないような状況が多かった。

わたしが二〇〇二年頃にある自治体に取材した時にも、担当の職員が、「一応(制度は)ありますけれど、失業されている人などのように収入のめどがない場合には、返済そのものがまず無理ですから、実際には運用されたことがないようです」と話すのを聞いたことがある。だが、最近では行政も制度の運用に力を入れており、以前に比べるとかなり積極的に融資に応じるような姿勢を見せているという。こうした制度がさらに普及し、かつ利用しやすくなれば、先に挙げた「毎月あと×万円」という方向での問題が解消される可能性が高い。つまり、貸金業者から借りる必要も薄れるかもしれない。参考までに、東京都における生活福祉資金のひとつである、「総合支援資金」「緊急小口資金貸付」について以下に概要を紹介しておこう。

●生活支援費
生活再建に向けての就職活動等を行う間の生活費として貸し付ける資金。限度額は、単身者で月額十五万円以内。複数世帯では月額二〇万円以内。貸付期間は、通算で十二ヶ月。ただし、初回申請では六ヵ月以内。返済は貸付終了の翌月から六ヶ月の据置期間を経て二〇年以内。無利子で連帯保証人が必要となるが、保証人を付けずに年率一・五パーセントの有利子で貸し付けることもできる。

●一時生活再建費
低賃金住宅への転居費用、公共料金等滞納の支払い費用その他。貸付限度額は六〇万円。利子や保証人については生活支援費に同じ。

●緊急小口資金貸付
低所得世帯や障害者世帯などを対象とし、傷病や火災などの災害による費用や、失業給付などの支給開始までの生活費などの補填を目的とした資金で、貸付限度額は十万円。無利子で据置期間は二ヶ月。返済期間は八ヶ月以内で、連帯保証人は不要。

まるで変かっていない大マスコミのご都合主義報道

さて、総量規制によって「ヤミ金が増える」「庶民はローンも組めなくなる」といった大マスコミ、テレビなどの報道機関の報じた内容が偏ったデタラメであることはわかったが、こうした物事の本質をまったく無視した、「面白おかしい見世物記事」に終始する傾向は、以前とまったく変わっていない。一連の総量規制関係の記事では、ヤミ金業者に取材して、あたかも客観的な報道を行っているかのように見える。しかし、実際にはヤミ金業者の一方的で勝手な言い分を垂れ流し的に掲載しているにすぎないのであり、多重債務問題の本質に迫るようなものはほとんど見当たらない。こうした傾向は、今に始まったことではない。

かつて、借金苦が問題となり自己破産が急増した二〇〇三年頃には、多重債務に苦しむ庶民の事情について報告、分析するよりも、「債務の金額」ばかりを強調するような記事が目立った。わたしもまた、ある編集者に、多重債務や自己破産についての企画を持ちかけた際に、「三〇〇万円程度の借金じゃつまらないな。三〇〇〇万円ならいいけれど」などと言われて、唖然とした記憶が十年近く経た現在でも鮮明に残っている。庶民の借金苦、多重債務では、さまざまな調査結果を見ても、その負債の総額は五〇〇万円以下が七割以上を占める。債務の総額が一〇〇〇万円以上のものは、全体の一割程度か、それ以下にすぎない。

つまり、多数を占める五〇〇万円以下の事例をつぶさに観察しなければ、借金苦の現実が見えてくることがないのは言うまでもない。にもかかわらず、「記事にするからには、高額の借金の事例でなければつまらない」などという編集者の見方は、単に多重債務や自己破産といったものを見世物的にとらえているとしか考えられない。貧困についても大手メディアの記者や編集者たちは、「安アパートの一室で、一家が肩寄せあって細々と暮らしており」などといった、安っぽいドラマのような絵柄しか思い浮かばない。もっと現実的な視点での「貧困とは何か」が思いつかない。実際の貧困は、外見ではわからないケースが実に多い。一見するとまったく問題のないような家庭で、深刻な貧困が根付いているケースも珍しくはない。

貧困や借金苦は、ガン細胞のように目に見えない部分で増殖しているものなのである。にもかかわらず、思い込みでの「貧困のイメージ」という感覚でしか借金苦というものを見ることができないから、「自己破産するとすべての財産を失う」などといったデタラメな表現を、記事内に平気で書く新聞記者がいるわけである。「生活費が足りない」「働いても貧しさから抜け出すことができない」ということの意味を、はたしてマスコミの記者や編集者が、どれほど理解できているであろうか。いや、銀行員なみの給料を受け取り、経費も使い放題の大マスコミの記者や編集者には、「現代日本に貧しさが存在する」などということ自体を、感覚として理解でき
ないのかもしれない。

行政のセーフティネットの限界

さらに、日本における住宅福祉の低さも大きな問題であろう。住居というものは、人間が生きるために必要な衣食住のひとつである。にもかかわらず、住居費というものが非常に高額に設定されている。しかも、公営住宅や家賃補助といった公的な住宅福祉は、それぞれの自治体によって大きな格差がある。そして生活保護においても、住居費として認められる全額は非常に低く、民間賃貸住宅に入居することはまず不可能である。そして、行政のセーフティネットといえば、誰しも思い浮かぶのが生活保護であろう。たしかに、生活保護を受けることは緊急避難的には有効だ。しかし、その一方で生活保護受給には多くの制限を強いられることとなる。

たとえば、住居扶助費などはほとんどの場合に民間住宅の相場から比べてかなり低く設定されるのが実情だ。そのため、ほとんどのケースで転居を余儀なくされる。また、自家用自動車の所持も不可となるので、処分しなければならない。クルマが冷蔵庫や洗濯機と同じような生活消費財として認められていると考えられる現代においても、何とも奇妙な制限であるが、ともかく、たとえ「仕事に不可欠」であっても、クルマは手放すよう強制される。こうした制限によってそれまで続けてきた通勤や営業活動が困難となり、せっかく就業しているにもかかわらず、退職や廃業の決断を迫られるような可能性もある。自立した生活を望むはずが、かえって自立から遠ざかってしまうような境遇に陥ってしまうこともありうるのである。

たとえば、勤労や就業による収入と生活保護による受給がまったく同一金額であったとしても、条件によっては生活保護受給のほうが自立生活という視点から見ると、はるかに不利または不都合を強制されるケースがありうるということとなる。そうした状況を避けるため、生活保護ではなしに生活費の補填という形を選択するのはごく普通の行動である。そして、簡単な手続きによって手軽に借りることのできる消費者金融や信販会社のカードローンなどに頼ってしまうというわけである。具体的には、生活苦による多くの現状として、「今月はあと三万円足りない」とか「毎月あと五万円あれば」という事情が少なくないと考えられる。こうした、「あと×万円あれば」という庶民の困窮に対して、国も、地方も、統一的かつ抜本的な対策が、これまでほとんどなされていないままであった。

これは、行政レベルのセーフティネット、生活福祉がまだまだ足りないということにほかならない。こういう「生活苦」の問題になると、すぐに「努力不足だ」「甘えだ」という精神論的な主張によって問題自体を解消しようとする傾向が出てくる。しかし、結論から言えば、そうした精神論はまったく無意味である。何よりも、現在の貧困問題、格差問題は、かつての日本が経験したような、単純な就職難、あるいは不景気などの経済情勢だけによって説明できるものではないからである。貧困や収入格差の問題というものは、日本においても古くから存在していた。そして、従来のそうした問題は、景気の回復やそれに伴う求人の増加、賃金水準の向上などによって、総体的に見て改善される傾向が比較的強かった。

ところが、バブル経済崩壊期に時を同じくして始まっ現状とその問題点など絶対に理解できるはずもない。たとえば、『週刊ポスト』二〇一〇年七月九日号で総量規制を取り上げて、「庶民はテレビも買えない時代が来る」などとタイトルに掲げているが、問題はもっと深刻なのである。すなわち、「借金をしなければ、生活できない」という貧困層が存在し、ワーキングープアとして社会の中で固定化してしまっていることこそ、多重債務問題の重要なポイントである。就業し、一日のほとんどを労働に費やし、それでいながら満足な生活費が得られないという事実こそが注目すべきことである。こうした貧困層は、借りられるだけの借金を、なんとかやりくりして毎日をしのいでいくしかない。

だが、返済能力を超える借入をしてしまったら、返済不能になることは目に見えている。要は、「いかに貧困になくすか」が問題なのであり、借入の枠の問題なのではない。そんなことは、想像力と思考力を使って考えれば、そして、先入観を取り除いて地道に取材を続けてみれば、たちどころに理解できるはずの問題なのである。こうした、固定化した貧困層の問題で、とくに深刻なのが、高校や大学を卒業して就職する新卒採用が非常に厳しい状況になっていることである。この新卒採用に関しては、ロストジェネレーション、就職氷河期という考え方がある。

これもまた大マスコミが発明したものであるが、要するに就職氷河期と呼ばれる時期に新卒採用を逃したケースは、「たまたまその時期に景気が悪かったからだ」として、世代論的な論理として展開しようとしたものである。しかし、この理屈は容易に崩れ去った。なぜなら、就職氷河期以降の景気は毎年のように変化し、数字の上では好景気として認識された時期も少なくない。ところが、新卒採用は就職氷河期から現在に至るまで、ほとんど改善されていない。これも、昨今の状況によって、企業による採用の構造が、以前に比べて完全に変わってしまったからである。

多重債務の原因を解決することが今後の課題

今回の総量にからんだ騒動では、マスコミ報道では「庶民がなぜ借金をするのか」という点にまったく触れられていない。ただ「収入のない専業主婦は、貸金業者から借りられなくなる。非正規労働者は借りにくくなる。大変だ」と大騒ぎするばかりである。このあたりの、単に「面白そうな」現象ばかりを取り上げて煽りまくる大メディアの姿勢は、まさに木を見て森を見ない、見ようとしないマスコミの、相変わらずの体質が浮き彫りになっているかのようである。そもそも、庶民はどうしてカネを借りるのか。そこに根本的な原因があるにもかかわらず、そして、その原因に気づいていながら、大手マスコミはその点にはまったく理解しようとはしないのである。

太陽の会に寄せられた相談内容からまとめられた二〇○三年から二〇〇九年までの資料によれば、「債務の原因」すなわち借金をする原因は、常に最も多いのが「家計費補助」で、三三パーセントから四六パーセントに及ぶ。それ以前の統計でも、生活費のために借金するケースが四割以上を占める。これに対して、ギャンブルや遊興費は、両者を合わせてもせいぜい三割を超えることはない。一割強程度のこともある。一方、日本クレジットカウンセリング協会が実施した調査でも、多重債務の原因としては、「生活費の補填」が全体の約六割を占めており、圧倒的に多い。これに対して、「ギャンブル等」は二割にも満たない。

いずれにしても、多重債務の原因としては、浪費やギャンブルはあくまで少数派にすぎない。少なくとも、多数とはいえない。これらの集計を見ても、多重債務、借金苦についての根本的な問題は、収入減やリストラなどといった、社会情勢などを原因とした生活苦が、大きく影響しているのである。こうした状況が、多重債務の問題を非常に深刻に、そして難しいものとしてしまっているのだ。借金をする原因が、浪費やギャンブルといったものであれば、その解決は比較的簡単である。日常の消費に問題があるのなら、支出の見直しや家計管理を強化することによって改善できる。

また、原因がギャンブルならばやめることによってただちに改善するし、依存症のような形で自力での改善が難しいような場合には、カウンセリングなどの処置をとることによって善処することができる。また、ギャンブル依存症をサポートする団体などもあり、相談等も受け付けている。だが、収入減による生活費の不足という問題は、そう簡単に解消できるものではないのは言うまでもなかろう。現在の日本において生活苦を生み出している要素は、実にさまざまな要因が絡み合っている。グローバル化の進行による企業の競争力低下と、それによる従業員ヘの還元利益の低下や、それに関連した利益確保の難しさ。また、歯止めがかからない雇用情勢の悪化による非正規労働者の問題など、貧困を解消できない悪要因は数多く存在し続けている。

実際に効果を上げつつある法改正

なぜ、ヤミ金の隆盛がかりそめのものでしかない可能性があるのか。それは、多重債務問題が徐々に解決へと動き出しているからである。北健一氏は、「一連の法改正、法規制は具体的に効果を上げている」と言う。「段階的に進められてきた法整備によって、債務に関する状況は急速に正常化が進んでいます」まず、九五年から上昇の一途をたどり、ピーク時には年間二十三万件を超えていた自己破産申立の件数は、二〇〇三年頃から減少に転じ、二〇〇五年頃には年間十八万件に下降し、二〇〇八年には十三万件にまで減少した。

以後、現在に至るまで横ばい、または減少の傾向にある。この自己破産の申立件数が減ったという点について、債務整理の手段が任意整理や特定調停などといった選択肢が広がったためと説明する向きもある。しかし、全体的に見れば債務整理の方法としては、依然として自己破産が最も多い。また、任意整理や特定調停を含めたとしても、総合的な債務整理の数についても、全体として減少している傾向が見られる。これは、北氏の言うように、二〇〇〇年の出資法改正の頃から始まる法規制、法整備の時期とほぼ重なる。とくに、ここ数年はその変化が顕著に現れている。

とはいえ、自己破産件数が年間十万件を超えるというのは、決して少ない数字ではなく、事態を楽観視することはできない。だが、それでも自己破産件数が年間十万件を突破した九八年以降、その申立件数が急増していたものにブレーキがかかったことは、好ましい傾向にあると判断できよう。ただし、繰り返すが現状はまだまだ深刻な状況だ。多重債務に苦しむ人々は多く、借金苦の問題はさらに予断を許さないような状況であろう。そこで、多重債務、借金苦の原因について考えないわけにはいかない。

総量規制でヤミ金が増えるのか?

「総量規制でヤミ金が増える」という論理も、一見するともっともらしく聞こえるが、よく考えてみればその考え方がいかにおかしいかがよくわかる。マスコミの報道のほとんどは、「消費者金融やローン会社から借りることができなくなった人が、仕方なくヤミ金などの非合法業者を利用するようになる。だから、この改正によってヤミ金が増えることになりかねない」という意見だが、一見するともっともらしく見えるこうした論理は、実際には呆れ返るほどに間違っている。そもそも、「借金で借金を返す」という方法、俗に「回し」と呼ばれることを恒常的に続けているような状態になっていたら、かなり危険な状況に陥っている可能性が高い。そして、ヤミ金から借りている分というのは、実質的にみれば生活費でもなんでもなく、大手貸金業者からの借人とその利息を借りているにすぎない。

しかも、ヤミ金は法外な利息であるために、どんなに収入があったとしても返済できるものではなく、したがって、債務が超過することは避けられないことは言うまでもない。すなわち、なぜヤミ金が増えたかというと、それは大手消費者金融などの貸金業者が無軌道に貸し過ぎた結果であって、「総量規制によって大手業者が貸さなくなると、ヤミ金が増えて庶民が迷惑する」という論理は、まさに本末転倒と言わざるをえない。もっとわかりやすく言えば、最初からヤミ金を利用する者などいない。借金をしようとすれば、誰しも広告やTVCMなどで名の通った業者を選ぶのが普通だ。そして、そうした大手の貸金業者からの借入が返せなくなって、中小の業者から借りるようになり、最後にヤミ金にたどりつく。すると、その時点で必然的に借入はかなりの高額になっている。

こうした事実を冷静に見れば、「ヤミ金から借りる」という行為そのものが、「大手業者からの借金返済のために借りる」ということにはかならないことが再確認できるだろう。したがって、最初の大手貸金業者からの借入の時点で適切な処理をしてしまえば、ヤミ金業者がはびこる隙はなくなる。つまり、顧客の収入や資産状況に応じた適切な融資を行うことと、返済が困難になった場合にはしかるべき措置、たとえば債務整理などの策を講ずることである。借金問題に苦しむ多重債務者等への支援を続けている太陽の会(全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会加盟)の本多良男氏は、「行き詰った債務は、整理すべきです」と主張する。「借金が返せなくなったら、債務整理して生活の立て直しを図るようにすることが大切です。

それなのに、借金にさらに借金を重ねてしまっては、さらに傷口を広げるばかりです。まして、ヤミ金から借りるなど、もってのほかです」そもそもヤミ金というのは、法定利息の数倍から数百倍という、考えられないような高金利でカネを貸す者たちのことであり、利用者に対して脅迫や恫喝、第三者請求をはじめとする違法な取り立て、「利息分先払い」「手数料、事務経費、保証料、迷惑料などと称する不明瞭な現金の請求」「押し貸し」などといった違法行為、強制的に利用者の意にそぐわない労働を強制するなど、そのほかにも多くの不法行為、犯罪行為を実行している個人および集団であることは、多くの報道や消費者窓口等の、関係機関に報告された事例によって、すでに明らかとなっている。こうした事実から、ヤミ金とはもはや「貸金業者」とすら呼ぶに値しない、明らかな「犯罪者集団」であることは言うまでもない。

こうしたヤミ金業者が、利用者を「救う」ことなど、絶対に考えられないこともまた、数々の事実から明白である。総量規制について取り上げている雑誌等の記事では、いくつもの「自称」ヤミ金業者に取材して内容を構成しっている。しかし、その内容は、単にそれらの「自称ヤミ金」の自分勝手な言い分を一方的に垂れ流しているにすぎない。しかも、それらの記事をよく読んでみると、総量規制などとはまったく関係のない、別の問題による内容を紹介しているに過ぎなかったりする。たとえば、『週刊ダイヤモンド』二〇一○年七月三十一日号の記事では、自称ヤミ金業者が登場する。この自称ヤミ金は、顧客から「頼むから(ヤミ金を)廃業しないでくれ」と頼まれて続けているという。

そして、この自称ヤミ金は「多重債務者はみんな、寂しいんですよ。毎年が厄年みたいな、やたらと運の悪い人が少なくない」などとうそぶく。そして、記事は次のように続いている。多重債務者の多くが、精神力が弱く依存心が強い人たち。たとえ相手がヤミ金とわかっていても、心の内を明かすうちに、知らずしらず心のよりどころにしてしまう。こうした状況は、むしろ借金依存症あるいは現金依存症などの問題として処理されるべき要素である。多重債務に陥った人の中には、冷静な判断ができなくなり、とりあえず目の前の返済について処理することしか見えなくなってしまうケースが少なくない。そのため、自らの債務状況についてまったく把握できなくなっていることが多く、預金通帳の記帳すら何年もしていないという事例も珍しくない。また、債務を抱えているという不安や恐怖心から、常にある程度の現金を所持していないと精神的に動揺してしまうというケースもある。

しかし、こうした現象や状況は、今回の法改正や総量規制などとはまったく関係のないものであり、むしろ問題の根源は別のところにある。それにしても、主要雑誌の記者や編集者といった制作サイドは、あまりに借金や多重債務についての理解において低く、感覚において鈍いのではあるまいか。さまざまな記事を読むにつけ、現金や生活に何ら不自由のない者が、聞きかじりの知識と断片的な情報だけで、「総量規制は悪」というストーリーに沿った文章をつづっているとしか感じられない。そもそも、「総量規制」と「ヤミ金の増加」が何の因果関係を検証することもなく、ただヤミ金業者の言いたいことをだらだら書きつづるのは、いかがなものか。しかも、記事によっては「多重債務問題は貸金業者だけを取り締まればすむ話ではなく、事の本質は貧困問題なのだ」(『週刊ダイヤモンド』)と、正しい指摘もある。

それでも、その貧困の状況について、明確な指摘をしている記事は少ない。ともかく、「ヤミ金が増えている」というのも、要はそれだけ大手消費者金融がこれまでに、「ジャブジャブと湯水のように」野放図な融資を続けてきたツケが、五年、十年、あるいはそれ以上に積もり積もって出来たものにほかならない。最近になって、以前のような強引な取り立てなどを控え、金利も低めに設定した、「ソフトヤミ金」なる者が登場しているとの報道もある。しかし、ある消費者金融関係者は、「そんな奴らは昔から大勢いた。最近になって、多少目立ってきただけのことでしょう。

ヤミ金というと、非常に悪質なイメージが強いから、何も知らないマスコミの人たちが珍しかっているだけなのでは」と話す。そして、ソフトだろうが何だろうが、ヤミ金すなわち犯罪者集団に変わりはない。借りたが最後、百害あって一利なしであることは間違いない。複数の報道記事では、自称ヤミ金業者たちは、「最近客がどんどん増えている」「かつてないチャンス」などと豪語する。しかし、それとて見せかけの栄華である可能性が指摘されている。つまり、ヤミ金の繁栄というものがあると仮定しても、それはネズミ講と同様に、決められたサークルの中で限られたカネを奪い合っているようなものだということである。

「総量規制」論議の正体

それではいったい、総量規制というものの本質、正体はどのようなものなのだろうか。「総量規制とは、実は単純なことなのです」そう話すのは、経済、金融、労働などの分野で活躍し、多重債務問題などにも詳しいジャーナリストの北健一氏である。今回の総量規制について、北氏は次のように述べる。「現在、一般庶民の小口での借入は、大手消費者金融の『ツケ』を中小の業者に回しているという状況になっています」多重債務に至る経緯とは、だいたい次のようなパターンになることが多い。まず、カードローンや大手消費者金融からの借入をする。それが返せなくなると、より中小の貸金業者から借りて返すようになる。それでも返せなくなると、さらに中小零細の業者から借りるようになる。

そしてついには、ヤミ金のような違法なところから借りるようにまでなってしまう。まさに、大手のツケを中小零細に背負わせる」という図式が成り立っているのである。なぜ、こうした図式が出来てしまうのか。それは、北氏の言うように単純なことで、要は大手消費者金融が野放図で無軌道な融資を続けてきたからである。返済能力を超える貸付をすれば、当然ながら自力での返済に行き詰る。そうなると、収入以外のところから何らかの現金を融通しなくてはならなくなる。そうなれば、新たに借金をして補填せざるをえない。以後、この繰り返しとなり、いずれは破綻することは目に見えているといっても過言ではない。

つまり、大手の消費者金融は、いつしか顧客の収入や職業といった、個人が持つ資産や能力に対して融資するのではなく、他の同業者からの新たな融資を当てにして、それによって自社の貸付分を補填させるという、いわば業界内でのネズミ講のようなことを想定していたとも考えられるわけである。つまり、融資の返済を借り手の生産性や利益創出に頼るのではなく、貸金業界という世界で滞留しているカネに依存しているわけであって、しかも高金利というバブルによってかろうじて支えられた、実に脆弱なビジネスモデルだったわけである。そして、グレーゾーンの解消によって、そのバブルはものの見事に弾け飛んでしまったわけである。「返済能力の範囲内で貸し付けることが、正常で健全な貸金です。返済できる見込みがないにもかかわらず、不適正な金額を貸してしまうというのは、とても健全とはいえません。

返せないような融資をするというのは、法律で定めるということ以前に、商取引としてあまりにおかしいということになります」(北氏)つまり、総量規制とは、返済能力に応じた融資のみを実行するということ、貸すべきではない人に貸し付ける金額を制限するというだけのことである。これも、商取引としては至極当たり前の話であって、それほど大騒ぎするようなものではない。融資という点て考えるのであれば、銀行などは貸金業者よりも厳しい規制がなされている。たとえば、銀行員が、返す当てがない、返済能力が見込めないような人や組織に過剰な融資した場合、それは不正融資となり、背任罪に問われることとなる。ニュースなどでしばしば見かける、ズサンな融資の結果に借り手が倒産し、融資が焦げ付いて回収不能となって、担当の銀行員が逮捕されるというような事件が起きることがあるが、まさにそうしたケースが該当する。

すなわち、貸した方の責任が問われていたのである。ところがこれまで、消費者金融などがいくらズサンな融資を実施して、その結果で回収不能となったとしても、非を問われることはまったくなかった。貸金業者がらみでは、「借りたほうが悪い」「借りて返さないやっか悪いに決まっている」という論理が幅を利かせ、貸し手の責任が追及されることは、法的にはまったくなかったといってまい。「そもそも、総量規制については、年収を目安にして融資金額の制限をすべきだという指摘がかなり以前から専門家などから出ていたわけです。つまり、総量規制の考え方というものが、最近になっていきなり登場したものではないのです」(北氏)しかも、消費者の小口融資については、長らく放置され続けてきた。七〇年代に強引な取り立てによって自殺者まで出る、いわゆる「サラ金地獄」として問題となり、八三年に議員立法によって「貸金業規制法」が成立。それが今日の貸金業法の原型となった。これによって強引な取り立てなどが法律で禁止される動きとなったのものの、九〇年代に入っても第三者請求、すなわち貸し手本人以外への、家族や親類などへの請求は続いた。

ほんの十年ほど前まで、「本人が払えないなら、家族が代わりに払え。兄弟でカネを出し合って返せ!」などと、消費者金融やカード会社の担当者が電話口でがなりたてることなど、珍しくはなかったのである。そして何より、グレーゾーン金利を生じさせるもととなった、出資法によって定めた高金利はそのまま温存された。日掛け金融の金利は実質年率一〇〇パーセントを超えていたし、九〇年代まで一般消費者向けのカードローンであっても五九・六パーセントという、今では考えられない高金利の商品まであったのである。それが、段階的に金利の引き下げが進められ、ようやく二〇〇〇年に出資法の上限金利が二九・二パーセントにまで引き下げられ、二〇〇六年にはグレーゾーン問題は解消される。金利についての整備がひと通り完了するまで、サラ金地獄と呼ばれた時期から三十年が経過していたのである。